朝、目が覚めた瞬間に感じる重さ。
胸のあたりに沈殿したような、説明できない疲れ。
眠ったはずなのに休まっていない感覚。
「よし、今日もやるか」と自然に思えない日の方が多いのかもしれない。
ただ布団から起き上がるだけで、心がすり減る日がある。
理由がはっきりしているわけではないのに、「なんとなく」憂鬱。
その“なんとなく”が、実はあなたの心のSOSだったりする。
世の中は、がんばる人に「まだできる」「もっとやれる」と言い続ける。
でも、本当に必要なのはその逆だ。
「いまのままでもいいよ」
「今日はゆっくりでいい」
「それでも前に進んでいるから大丈夫」
そういう言葉だ。
- ■ 朝が憂鬱になるのは、弱さではない
- ■ 元気になろうとしなくていい朝がある
- ■ 朝できることは、ほんの小さな一歩だけでいい
- ■ 朝の自分には、優しさを向けていい
- ■ 憂鬱な朝は、「心が自分を守ろうとしている」証拠
- ■ 最後に、朝を迎えたあなたへ
■ 朝が憂鬱になるのは、弱さではない
人は、ずっと走り続けることはできない。
心も体も、一日中、同じ強さでなんていられない。
にもかかわらず、
「ちゃんとしなければいけない」
「気合を入れなければいけない」
「頑張るのが当たり前」
そんな“無意識の義務感”が肩に乗っている。
だから、朝が苦しい。
弱いからじゃない。
むしろ、真面目に生きているから苦しい。
だらしない人は悩まない。
責任感があるから、つらくなる。
ちゃんと向き合っているから、心が疲れる。
あなたは、すでに十分頑張っている人だ。
■ 元気になろうとしなくていい朝がある
世の中のアドバイスはときどき残酷だ。
「朝散歩すると良いよ」
「早起きが成功の秘訣」
「ポジティブでいよう」
そんな言葉は、余裕がある人には届く。
でも、今のあなたには、少し重たい。
だから今日は、元気になろうとしなくていい。
「低空飛行で一日をやり過ごす」
それは逃げではない。戦略だ。
飛んでいるかぎり、速度は関係ない。
高度も、速さも、人と比べる必要はない。
■ 朝できることは、ほんの小さな一歩だけでいい
憂鬱な朝に必要なのは、目標ではなく、行動を最小化すること。
例えば──
-
とりあえず布団から足を出す
-
顔を洗うのではなく「水で軽く目元を濡らす」だけ
-
コーヒーやお茶を淹れて、温度だけを感じる
-
机の前に「座るだけ」
これだけで、もう十分だ。
「仕事へ行く」「成果を出す」なんて考える必要はない。
今日の目標はただひとつ。
生き残ること。
■ 朝の自分には、優しさを向けていい
自分に厳しい人は、朝いちばんで自分を責めてしまう。
「なんで起きられないんだ」
「またやる気が出ない」
「弱いな、自分は」
でも、そういう日は責め言葉ではなく、こう言ってほしい。
「今日は苦しいのに、ちゃんと起きてえらい。」
気持ちが追いつかないのに、それでも今日を生きようとしている。
それだけで、誰よりも立派だ。
■ 憂鬱な朝は、「心が自分を守ろうとしている」証拠
あなたの心は、ちゃんと戦っている。
耐えて、受け止めて、踏ん張ろうとしている。
だから、苦しい。
だから、重い。
体が疲れたときは「休もう」と自然にわかるのに、
心が疲れたときだけ、なぜか人は無視してしまう。
でも、心はちゃんと信号を出している。
「少しゆっくりして」
「歩幅を小さくして」
「一緒に生きよう」
そのサインが、憂鬱な朝。
■ 最後に、朝を迎えたあなたへ
もし今日、あなたが布団から起き上がったのなら。
顔を洗ったなら。
飲み物を口にしたなら。
それはもう「前に進んだ」ということだ。
たとえ気持ちがついてこなくてもいい。
充電が追いつかなくてもいい。
生きているだけで、立派だ。
そしてもし、またしんどくなったら、何度でもここに来てください。
話せる言葉がなくても構いません。
ただ「憂鬱だ」と一言だけでもいい。
その一言を受け止めるために、ここにいるから。
今日も、低空飛行で、静かにいきましょう。
あなたは、ちゃんと生きている。